こんにちは、sioriです。
人には、生きていく上でどうしても必要なものがありますよね。「これがなければ生きて行かれない」という、自分にとって絶対に必要不可欠なものが。
本当に生存に不可欠なものや、精神的に大きな支えになっているもの、例えば病気を持っている人にとって症状を抑えるために特定の薬がどうしても必要な場合や、親にとっての子どもの存在、そして子にとっての親、または伴侶など。
また、目の悪い人のためのメガネやコンタクトレンズ、杖や義足などもそうです。
それが無いと生活が立ち行かなくなってしまうもの。
考えてみるとけっこうありますね。
人類の進歩によるものも大きいような気がします。
でもここではそういったものではなく、「本当は必要など無いのに、本人が必要だと思い込んで依存しているもの」について書いて行こうと思っています。
それは本当にあなたに必要なモノなのか
一番気になるのは、生き死にに関係のない対症療法的な「薬」です。
他にも色々あるでしょうが、体に害をなす可能性がある点でやはり薬に依存することはとても怖いと思っています。
身内の恥をさらすようですが、実は私の夫がこのタイプです。 体にちょっとでも不調を感じるとすぐに薬を頼るのです。
胃薬、風邪薬、頭痛薬、鼻炎薬、便秘薬などは日常的に本当によく飲んでおり、それぞれメーカーも決まっていて「このメーカーで無いとダメ」と飲み比べたわけでもないのに頑なに思い込んでいます。
本当に我慢できないほどツラいのなら薬を頼るのも仕方ないと思いますし、私も頭痛薬や風邪薬はたまに飲みますから、自分は棚に上げてぜんぶがダメだと言うつもりなどありません。
ですが、夫を見ているといとも簡単にそれらの薬を飲むのです。
何となく胃に違和感があるな~という程度ですぐに胃薬を飲み、たった一日お通じがないだけで夜に便秘薬を飲む。
私は薬が嫌いでよほどのことでない限り飲まないものですから、簡単に薬に頼る夫にいつもため息が出てしまいます。
私ならちょっと胃の具合が悪い程度なら、胃にやさしい食事をして早めに寝て体を休めますし、一日お通じがないくらいですぐに便秘薬を飲んだりしません。
体に不調を感じる時というのは、何かの理由があって体の抵抗力が落ちている時ですから、その原因を探ったり体を休めることを優先するべきで、それらを省き薬で手っ取り早く表面上の不調をごまかすなんて、体にはぜったいによくないと思います。
仕事のためにやむなく症状をおさえなくてはいけない時もあるでしょうが、それ以外の時、特に急いで症状を抑える必要がないときに、大したことがないのにすぐに薬箱へ手が伸びる習慣は本当によくないと思います。
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魔法の薬なんてない
どうも薬をまるで魔法のように過信しているふしがあるんですよね。
魔法のように一瞬で治してくれるような薬なんてあるわけがないのに。
薬は体にとって異物でしかありません。薬を飲むことで体に科学的な反応を起こしているわけで、それは体にとっては極めて「不自然な状態」です。そして、なまじ薬には効果があるために、「体に不調があっても薬さえあれば自分は安泰だ」と思い込んでしまうのです。
私が夫に薬の危険性をいくら説明したところで、薬の量を減らそうという気持ちはまったくなさそうです。おそらく頭では分かっているのでしょうが、薬を飲む衝動を抑えることがどうしても出来ないのでしょう。
お年寄りを見ているともう不安しかありません。彼らが病院でいったいどれだけの薬を処方されているのか、実際に仕事で目にしていますが本当に驚きの量です。
彼らはどれがどういう効果を持った薬なのかよく分からないまま、お医者さんが出してくれた薬だからと何の疑いもなく膨大な量の薬を毎日服用しています。
何錠もの薬をジャラジャラと口に中に放り込んで服用する様子を見ていると、これらの薬すべてが本当にこの人に必要なんだろうか?と疑問を感じずにはいられません。まるでドロップかなにかを口にするかのような気軽さで服用している姿は、私の目には異様としか映りません。
あれだけの薬が体内に入りそれぞれがその作用を体に及ぼしていることを考えると、本当に怖いです。薬の影響がどれだけ体に負担を掛けていることか。ただでさえ高齢で体のあちこちが若い頃に比べ衰えて来ているのに。
でもこうした高齢者の人たちはちゃんと病院を受診して処方してもらってるのですから、素人の私が浅はかに言及するようなことではないですね・・。ドラッグストアで手軽に買える薬と一緒に語るのは間違いなのかもしれません。(それでもやっぱり納得できませんが・・・)
薬の副作用で一番怖いのは・・・
実は少し前、人間ドッグで夫の肝臓に異常値が出たことがあります。
夫はそれほどお酒を飲まないし、なぜ肝臓?と思っていたのですが、後から調べて分かりました。肝臓に異常値が出た原因は、夫の場合おそらく「薬の飲み過ぎ」です。
肝臓というのは、体にとって有害な薬を解毒してくれる臓器です。なのであまりに多くの薬を飲んでしまうと肝臓にものすごい負担が掛かってしまいます。あまりに多くの量の薬を飲み続けることによって肝臓が侵されてしまうことを「薬物起因性肝障害」というらしいです。
夫はその頃、上記のような数々の薬に加え心療内科で処方された薬も飲んでいました。(うつ病を患っていたことがあるのです)
この話を夫にしたところ、さすがに夫も怖くなったようでしばらくは薬の量が減りました。胃薬や便秘薬をだいぶ控えるようになったのです。ですが、あれから数年が経ち今ではまったく元通りです。のど元過ぎれば何とやら、ですね。
そんな夫を見ていて、薬の副作用で一番怖いのは「体への影響」よりもむしろ、薬を過信し、頼り過ぎてしまうこと、つまり「精神的な依存を引き起こす」ことだと思っています。
「これが無くなったら生きていかれない」というほどに、夫は薬に依存してしまっています。もう薬が生きていく上での「必需品」になってしまったのです。
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それ無しで元気に生きていた頃もあったのに
「これが無いと生きて行かれない」というモノが増えれば増えるほど、人は弱くなって行く気がします。
もともと、何にもなくても身一つで生きて行かれるように神様は人をお造りになったはずです。人類は大自然の中、文明も何にも無いところに生まれてこれまで気の遠くなるような歳月を生き抜いてきたのです。
これほどバラエティに富んだ数々の薬が簡単に手に入り誰でも手軽に飲めてしまう時代は、やっぱり異常なのだと思います。
でもそういう時代に生きているわけですから仕方ありません。何とか自分で考え自衛していくしかないですよね。
かく言う私は、薬には依存していませんがやはり「これが無くては生きていかれない、かも・・・?」というようなモノがあります。ひとつは「耳栓」です。
音に敏感で、更年期に差し掛かってからは特にちょっとした物音ですぐに目が覚めてしまう私は、ある時から「耳栓」をして眠るようになりました。耳栓をしていると朝まで物音に起こされることなくぐっすり眠れるのです。
今も毎晩耳栓をして寝ており、もう私は耳栓無しでは熟睡できない体になってしまったのではないか、、、なんて思うこともあります。
本当は耳栓無しでも朝まで熟睡できるようになりたいんですけどね・・。まさに見出し文のように「それ無しで生きていた頃もあったのに」です。
もう一つが「サプリメント」です。頭痛や神経痛予防として数種類のサプリメントを飲んでいますが、それも昔は必要なく、別に飲まなくても健康に過ごしていました。
それがいつしか私にとって無くてはならない「必需品」となり、今後なにかの事情でサプリメントを飲めなくなってしまったら私は相当困ると思います。なので震災用のリュックにもサプリメントはしっかり入れてあります。
心の中ではこうしてサプリメントに頼り過ぎるのは良くない・・・と思いつつも、薬を飲むよりはまだマシ、と自分を納得させています。が、夫の薬のように依存していることには変わりないかもしれません。本当は食事から十分なビタミンミネラルが摂れればいいんですがね。
余談ですが、震災用の荷物の中には常備薬は忘れずに入れた方が良いです。ただでさえ不穏な状況の中、体調を崩す可能性はとても高いと思いますので。生理用グッズや赤ちゃんのオムツも無いと困ってしまうので必ず入れます。
最後に
耳栓も薬もそうですが、「これがないと生きていかれない」というようなモノは出来る限り持ちたくないと思っています。どうしても必要なケースは別ですが、無くても平気なのに安易にモノに頼ることはしたくありません。少なくともこれ以上は増やさないようにして行きたいものです。
何もなくても健康に暮らせるのが一番です。なかなかそんな完璧な状態は難しいでしょうが・・・。こんな理想論を言っていられる自分は幸せなのかもしれません。
でも、必要もないのに自ら「必需品」を抱え込んで依存し、窮屈な生活を送ることになるのは出来るだけ避けたい・・・そう思っています。
それでは、また。
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