
こんにちは、sioriです。
2017年6月5日付けの東京新聞に、京都大大学院の久本憲夫教授のインタビュー記事が載っていました。
一般的に、夫と妻が両方とも仕事を持って収入を得ている状態を「共働き」と言いますよね。
でも久本教授は、夫と妻の両方が収入の発生する仕事をしている場合、それは「共稼ぎ」と呼ぶべきだと主張しています。
なぜなら、
「共働き」という言葉は、家事や育児や介護を労働とみなさない用語だからです。
とのこと。
「稼ぐ」と「働く」は大違い
ひとくちに労働と言っても、収入がともなう「稼得労働」と、収入がともなわない「非稼得労働」があるので、何も、お金を稼ぐことだけが労働ではない、と教授はおっしゃっています。
たとえ稼ぎがなくても、家事や育児や介護は暮らしに欠かせない大切な労働であるのに、収入が発生する労働だけを「共働き」と定義してしまったことで、これらの家事、育児、介護が「労働」から外されてしまった、と。
今は妻も社会に進出して「稼ぐ」時代になりました。
でも、家事、育児、介護の労働がなくなるわけではなく、誰かがやらなくてはなりませんよね。
そのためには、収入の発生しない家事労働をどうやって分担していくかを考えていかなければなりません。
それには、「働」と「稼」を分けて考える必要がある、と久本教授は説きます。
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収入が発生しなくても、家事、育児、介護は大変な労働です
私は、介護福祉士として訪問介護のヘルパーをしながら家事と育児をしていますが、仕事のある日は朝から晩までめまぐるしい忙しさです。
朝、起きてからすぐにせわしない一日のはじまりです。
朝食とお弁当作り、洗濯、そして仕事へ行き夕方まで働いて、自宅へ帰ってくると洗濯物を取り込みすぐに夕飯の支度に取り掛かります。
その間にお風呂を沸かし、子どもの習い事の日は車で送り迎えもし、ようやく夕食の時間になって初めて腰を下ろせるといった感じです。

ヘルパーの仕事も肉体労働ですし、家に帰って来てからも座る暇もなくあれこれ家事が目白押しですから、夕食が済むとドッと疲れて食器洗いなどする気になれない日もあります。
恥ずかしながら、洗濯物も取り込んだらハンガーにかかった服はそのままどこかへ掛け、その他はそのまま畳まず床やソファの上に放置、なんて日も…。
幸い、平日休みがあるのでその日に掃除やアイロンがけなど、溜まった家事をこなしますが、せっかくの休日もそうやって家事で潰れてしまうので、何とも気が休まりません。
以前は休みの日にはよく美術館へ行ったり映画を観に行ったりしたいたんですが、子どもたちの塾代を稼ぐために仕事を増やしてからは、体も疲れるし溜まった家事を片付けないといけないので、休日はほとんど遊びに行かなくなってしまいました。
だから、久本教授のおっしゃることには深く納得です。
家事も育児も介護も(介護はプライベートではまだ無いですが)、本当に手間も時間も体力も必要な、立派な労働です!
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やる人がいなければ、家族はまともな生活が送れません

これらの労働はいくら頑張ってもお金は発生しませんが、でも誰かが担わなければ家庭が回りません。
誰もやる人がいなければ、家族はまともな生活が送れなくなってしまうのです。
なので、専業主婦だって立派な「労働者」だし、「共働き」という言葉は収入の発生があるなしに関わらず、どの夫婦にも当てはまる言葉なのだと思います。(病気などで動けない人は別として)
これまであまり深く考えたことはありませんでしたが、この久本教授の記事を読んで、なるほど、その通りだ!と深く納得しました。
仕事を持たない主婦はどうしても社会の中で軽く見られがちですが、いつでも手作りのごはんが食べられて、いつでも清潔な服が着られて、家に帰ってくればきちんと片付いた部屋でゆっくり過ごせるのは、ひとえに家事を担ってくれている人がいるからですよね。
久本教授の記事はこちらで読むことができます↓
今後はもっと「共稼ぎ」の世帯が増えていくと思います。
こういったことがもっと世間共通の意識になり、家事分担を考えるきっかけになるといいなぁと思います。
それでは、また。
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